「遣手(やりて)」という仕事をご存じですか?
ビジネスシーンなどで「彼は遣手だね」なんて言い方を聞いたことはありますよね。
この場合の「遣手」は、仕事ができる人、つまり“敏腕家”や“やり手の営業マン”のような意味で使われることが多い言葉です。
けれど、もともと「遣手」とは、江戸時代の遊郭、なかでも吉原という特殊な世界で使われていた言葉。そしてそれは、華やかな遊女たちの裏で暗躍していた、もう一人のプロフェッショナル女性たちを指していたんです。
今回は江戸の吉原で暗躍していた「遣手(やりて)」についてご紹介します!
〇「遣手」とは誰のことか?
吉原といえば、きらびやかな花魁道中や、美しい着物をまとった遊女たちを思い浮かべますが、その裏側には、決して表には出ない運営側の人々もいました。その筆頭が「遣手」と呼ばれる女性です。
「遣手」は、遊郭内に必ず1人以上いた、遊女たちを管理・監督する女性のこと。
彼女たちは、現役を引退した元・遊女が多く、30代以降、身請けされなかった女性がこの職に就くことが一般的でした。「香車(きょうしゃ)」や「遣手婆(やりてばば)」とも呼ばれ、遊女たちからは“恐れ”と“畏敬”が入り混じった視線で見られていたといいます。
つまり、「遣手」とは、遊女たちをうまく動かし、商売を成り立たせるキーパーソン。
見た目は決して華やかではなく、客前に出ることも多くはありませんでしたが、彼女たちの采配なくして、吉原の営みは成り立たなかったのです。
「遣手」は、遊郭内に必ず1人以上いた、遊女たちを管理・監督する女性のこと。
彼女たちは、現役を引退した元・遊女が多く、30代以降、身請けされなかった女性がこの職に就くことが一般的でした。「香車(きょうしゃ)」や「遣手婆(やりてばば)」とも呼ばれ、遊女たちからは“恐れ”と“畏敬”が入り混じった視線で見られていたといいます。
つまり、「遣手」とは、遊女たちをうまく動かし、商売を成り立たせるキーパーソン。
見た目は決して華やかではなく、客前に出ることも多くはありませんでしたが、彼女たちの采配なくして、吉原の営みは成り立たなかったのです。
〇遣手の仕事は、超・多忙!
遣手の役割は、一言でいえば「すべての中間管理職」。
まずは、遊女や新造(新人遊女)、禿(かむろ)たちの教育や生活管理。朝起こしに行き、体調や精神状態をチェックし、所作や言葉遣いまで目を光らせます。まさに母のように、時に厳しく、時に優しく彼女たちを導きます。
さらに、お客様対応も遣手の仕事。初見の客がやってきたときは、懐具合や性格を見極め、誰をつけるかを瞬時に判断します。飲み過ぎないように酒量を見張ったり、トラブルの芽を摘んだりと、ホール全体の空気を読む「接客のプロ」でもあります。
中には、遊女が客と本気で恋に落ちてしまいそうになったとき、涙ながらにその関係を引き離す……といった辛い役回りを演じる場面もありました。
駆け落ちや心中を防ぐために、夜中に鍵を壊して部屋に入った、なんて逸話も残っています。
こうして見ると、遣手というのは、ただの裏方ではなく、接客・教育・経営補佐・危機管理のすべてを担う、遊郭の女将(マネージャー)のような存在だったといえるでしょう。
まずは、遊女や新造(新人遊女)、禿(かむろ)たちの教育や生活管理。朝起こしに行き、体調や精神状態をチェックし、所作や言葉遣いまで目を光らせます。まさに母のように、時に厳しく、時に優しく彼女たちを導きます。
さらに、お客様対応も遣手の仕事。初見の客がやってきたときは、懐具合や性格を見極め、誰をつけるかを瞬時に判断します。飲み過ぎないように酒量を見張ったり、トラブルの芽を摘んだりと、ホール全体の空気を読む「接客のプロ」でもあります。
中には、遊女が客と本気で恋に落ちてしまいそうになったとき、涙ながらにその関係を引き離す……といった辛い役回りを演じる場面もありました。
駆け落ちや心中を防ぐために、夜中に鍵を壊して部屋に入った、なんて逸話も残っています。
こうして見ると、遣手というのは、ただの裏方ではなく、接客・教育・経営補佐・危機管理のすべてを担う、遊郭の女将(マネージャー)のような存在だったといえるでしょう。
〇さいごに・でも実は……給料は「ほぼゼロ」?
これだけ大変な仕事をしていながら、なんと遣手は「無給」だったといわれています。
もしくは、わずかな手当のみ。では、どうやって生活していたのかというと、「祝儀金」や「遊興費の歩合」など、お客や遊女からの“お心づけ”で生計を立てていたそうです。
つまり、どれだけ気配りできるか、人望があるか。商売の腕だけでなく、人としての信頼、義理人情を重んじる姿勢が問われる仕事だったと言えるでしょう。
余談ですが、遣手たちは小さな巾着を帯の奥に忍ばせていて、そこに祝儀金を入れていたそうです。チップの文化もあったのか!となんだかほほえましいですね。
もしくは、わずかな手当のみ。では、どうやって生活していたのかというと、「祝儀金」や「遊興費の歩合」など、お客や遊女からの“お心づけ”で生計を立てていたそうです。
つまり、どれだけ気配りできるか、人望があるか。商売の腕だけでなく、人としての信頼、義理人情を重んじる姿勢が問われる仕事だったと言えるでしょう。
余談ですが、遣手たちは小さな巾着を帯の奥に忍ばせていて、そこに祝儀金を入れていたそうです。チップの文化もあったのか!となんだかほほえましいですね。