Column
人妻援護会コラム

2022

06.03

Fri

日刊デリヘル経営・援護会コラム 『大阪の風俗に関する歴史』前編
〇日本最古の遊女って?
そもそも、風俗嬢の元祖となる遊女はどこから発生したものなのでしょうか。大正4年に発行されている『遊女の種類』によると、遊女の起源は『古事記』や『日本書紀』に登場する天鈿女(あめのうずめ)が元祖と紹介されています。

天鈿女は、天照大神が天岩戸(あまのいわと)に隠れた際に神楽を舞った女神。舞いながらあそこ(女性器)を見せたところ、神さまたちが「わはは」と笑ったので、天照大神が思わず顔を出したというエピソードが有名です。

天鈿女は、天照大神(あまてらすおおみかみ)の孫である瓊瓊杵(ににぎ)が高天原から地上に降臨した際にも、待ち受けていた猿田彦に向かって女性器を見せて脅かしています。まるで娼婦がお客様をからかっているかのようで興味深いですよね。
〇大阪の遊郭の歴史・江戸初期から続く「遊郭」文化
ソープの元となる『遊郭』ができたのは、1626年頃。1616年に「遊郭を設置しよう!」という動きが起こり、そこから約10年かけて、立ち退きや区画整理をしていきました。当時はまちづくりの巨大プロジェクトだったといえるでしょう。

江戸時代につくられた堀江遊郭、新町遊郭、曽根崎新地組合、南地五花街(阪町、宗右衛門町・九郎右衛門町、難波新地、櫓町)のほか、明治初年には、松島遊郭。大正初期には、飛田遊郭。大正後期に住吉同盟組合、南陽組合。
昭和初期に今里新地組合が設置され、大阪には遊郭が9箇所あったとみられています。
〇飛田新地はいつできたの?
大阪といえば、有名なのが飛田新地。『さいごの色街 飛田』(新潮文庫)にも紹介されています。

飛田新地の通りでは、左右に女性がエッチなサービスを提供する『料亭』が軒を連ねており、『料亭』の店先には女の子が座っています。

「おにいさん、遊んでいかない?」
とにっこり微笑む女の子たち。

「なんぼ?」
男性が聞くと、玄関先の壁にかけられた料金表が見せられ、料金に納得すれば、サービスが受けられます。

飛田新地のお客様のほとんどは、特殊な人たちなのかと一般的にイメージされるようですが、通りを歩いてみると、そこにいるのは「養う家族がいるんだろうな」と思わせるサラリーマンふう。
普通の男性たちで今も飛田新地はにぎわっています。

では、飛田新地はどのようにして生まれたのか。
そのきっかけは1912年(明治45年)、難波新地で大火事が発生したことにあります。
当時、東西1.4キロ、南北400mにわたるエリアが消失。現在の難波駅近くから火災が発生し、日本橋と谷町九丁目の中間付近まで焼けました。この大火事を受けて、遊郭を経営していた人たちが飛田新地を作り上げました。

時は、第一次世界大戦後。
好景気と共に飛田新地の規模は拡大していき、昭和初期には200店舗越え。
その後も、戦争でさまざまな苦労に見舞われますが、戦後も『赤線』(風俗営業を許されている特殊飲食街)として成長していきます。
1958年に、売春防止法が制定され、飛田新地は『飛田料理組合』と形態を変えましたが、今なお色街として栄えています。

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