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人妻援護会コラム

2022

07.04

Mon

日刊デリヘル経営・援護会コラム 『大阪の風俗に関する歴史』後編
〇1958年の売春防止法で「売春・禁止」に!
戦前、おおいに栄えていた風俗業界ですが、戦後、GHQが「人身売買ではないか」と問題視し、公娼制度は廃止に。

1958年には『売春防止法』が施行されることとなり、セックスでお金を取ることが禁じられてしまいました。
しかし、風俗業界はへこたれません。ここから、性風俗の抜け道を探して、あれやこれやの業態に変わっていきます。
〇トルコ風呂の誕生
風俗業が規制される中で、「エッチなサービスはしていません!」と言いながら、
実は性的なサービスをする……という形態のお店が登場します。

それが銀座6丁目に生まれた『東京温泉』というレジャー施設。

日本初のサウナが体験できる温泉施設で、個室の浴場にて、
アカスリを行う補助員がスペシャルなサービス(通称『おスペ』)が提供されました。
この施設の形態は当時、『トルコ風呂』と呼ばれました。

これが元祖となって、大阪でもあちこちに過激なサービスを提供する店が増えたといいます。

1984年、トルコ人留学生が中心となり、
「エッチな風呂に『トルコ』の名を使わないでほしい!」と抗議の声があがりました。
それを受け、『トルコ風呂』ではなく『ソープランド』と名を変えました。

その後も、川崎堀之内で「マット」サービスが生まれ、新たな技が次々と誕生。「二輪車(3P)」
「泡踊り」などのサービスは当時の風俗マニアにも衝撃を与えたといわれています。

しかし、90年代にかけて、いろんな業種の風俗店が生まれては規制の波にのまれて消えていきました。

大阪では、70年代末から80年代にかけて「ノーパン喫茶」が一世を風靡し、
1980年に生まれた『あべのスキャンダル』が全国区の知名度となりました。

しかし、1984年、風営法に大幅な改定が起こり、『フロア+個室』の業態は認めないということになりました。これにてノーパン喫茶は次々と閉店しました。
〇80年~ ファッションヘルス全盛期へ
規制がかかれば、新しいアイディアで切り抜けていく風俗業界。

ノーパン喫茶が絶滅すると、今度は80年代から90年代にわたって、店舗型のファッションヘルスが増えていきました。
とくに人気だったのは、コスプレで女の子となりきりプレイが楽しめるイメクラ店。

この頃から風俗情報誌がコンビニに置かれるようになったほか、ビデオデッキの普及にあわせて、AV業界が盛り上がり、エロが徐々にオープンなものへと変わっていきました。

大阪では、マンションの1室でエッチなサービスが受けられるマンションヘルス、
略して『マンヘル』が主流なものになりましたが、店舗が増えると、マンション住民から苦情が来るようになり、
2006年の風営法改定をきっかけに一斉閉店へと追い込まれました。

このような経緯があったすえ、今の主流となったのが『受け付けはマンションや事務所、サービスはラブホテル』という『ホテヘル』です。
〇今最もホットなホテヘル

大阪の風俗業界は今もなお、アイディアを出し合い、面白い風俗店を生み出し続けています。

中でもホットなのが、人妻店。

若い女性にはない抱擁力で、安心と安らぎを得られるほか、欲求不満な主婦のお姉さんが相手なので、若い子とはできないようなエッチなサービスを堪能できます。

大阪エリアには、6つもの人妻店があります。

大阪人妻援護会

大阪ミナミ人妻援護会

東大阪人妻援護会

大阪堺人妻援護会

京阪北大阪人妻援護会

関空泉州人妻援護会

近いエリアや、遊びたい女性がいるお店でぜひ、大阪の風俗の醍醐味を味わってくださいね。

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