Column
人妻援護会コラム

2023

01.06

Fri

日刊デリヘル経営・援護会コラム 『目黒の風俗に関する歴史』
〇目黒の花街
東京都23区の南西部にある目黒。華やかな繁華街と、しっぽりとした住環境が混在しており、現在は富裕層の住宅地として有名です。
目黒は、横浜と都心を一本で結ぶ東急東横線が走っていることもあり、『住みたい街』として根強い人気があります。そんな目黒ですが、その昔は花街として栄えており、多くの人々で賑わっていました。今回は、花街として栄えていたころの目黒の様子をご紹介したいと思います。

目黒の地で昔ながらの雰囲気をまだ保っているのは、不動前駅です。山手通りの騒々しさは、駅前ではほとんど聞こえません。居酒屋などの夜営業のお店も限られているので、日が落ちると閑静な街になります。
そんな不動前駅の由来は、目黒区の目黒不動尊。
1923(大正12)年3月に開業したときには、駅名は目黒不動尊前駅という名前でした。しかし、同年10月に改称。その理由は、地元の人たちの間で、目黒不動尊が「お不動さん」と呼ばれていたためでした。
小泉癸巳男 「目黒不動堂」 (1935)
目黒不動尊の歴史は古く、創建されたのは808(大同3)年。その後、江戸時代になると幕府に保護を受けるようになりました。保護のきっかけとなったのは、三代将軍家光がタカ狩りをしていたとき、大事なタカが迷子になったことなのだとか。その際、目黒不動尊の僧侶に祈らせたのですが、無事に見つかったこともあり、幕府をあげて、この寺を保護することに決めたそうです。
お寺がにぎわったのは、幕府の保護だけが理由ではありませんでした。この近辺は、富士山を眺められる『夕日ヶ丘』という景勝地があり、観光に適していたのです。
景色を眺めながら、お寺に参拝できたこともあり、目黒不動尊は、土産物屋や料理屋がぎっちりと並ぶようになりました。
しかし、当時は目黒には遊郭がなく、目黒を詣でたあとは、品川宿に泊まって遊んだと言われています。
目黒不動尊が栄えた理由は、もうひとつ。幕府に富くじを許可されていたからです。富くじの価格は1朱(1両の16分の1)から1分(1両の4分の1まで)。1等1000両にまで上がり、開札の日は大勢の人が詰めかけたのだそう。
このように、行楽地として栄えた目黒不動尊ですが、大正時代にさしかかると次第に寂れていきました。
不動信仰が衰えて、参詣客がすっかり減ってしまったからです。
かわってこの場所に増えたのは、芸者さんと出先との連絡事務所。そのうち、目黒は花街として栄えるようになりました。花街の規模は、蛸薬師から五百羅漢寺にかけての裏通りすべて。芸者の数も100人近くいたといわれており、かなり大きな花街だったといわれています。
当時、目黒には競馬場ができ(1907(明治40)年~1933(昭和8)年)、そこにやってくる旦那衆が芸者遊びをしていたため、一気に花街が栄えました。もっとも盛り上がっていた時期には、座って商売のできる店は2軒もないと言われていたそうですよ。
現在は、目黒不動尊を歩いても、そのような華やかな時代があったとは想像もできません。歴史とともに刻々と変化していく東京の街並み。100年後にはどうなっているのでしょう。

Tags

Top