Column
人妻援護会コラム

2023

02.14

Tue

日刊デリヘル経営・援護会コラム 『かつての花街・かんなみ新地』
京都の五条楽園や大阪の飛田新地とも肩を並べた兵庫県尼崎市の花街『かんなみ新地』。
ここは、かつて兵庫県尼崎市神田南通3丁目に存在した風俗街です。
古くは『パーク飲食街』とも呼ばれ、1950年ごろから存在し、2021年の11月まで営業していました。
今回は、幻の桃源郷となった『かんなみ新地』の歴史をご紹介します。
〇かんなみ新地とは
1946年1月、GHQにより、公娼廃止指令がくだりました。それから1957年4月の売春防止法の一部施行までの間に、非合法で売春が行われた場所を青線地帯と呼びます。『かんなみ新地』はそんな青線地帯の一部でした。あくまでも『飲食店』として、「ごはんを食べていたら、店員さんと良い仲になり、いたしました」という言い訳をしながら、営業していたのです。
敷地は約680平方メートル。実質2棟の長屋に30店を超える飲食店が営業していたと言われています。実態は、飛田新地や松島新地などと同様の『ちょんの間』スタイル。『ちょんの間』の語源は「ちょっとの間に行為をするから」。客と従業員の自由恋愛という名目で営業していました。
〇2021年11月――廃業に追い込まれる
2021年11月1日、兵庫県警尼崎南署と同市は、連名で性風俗営業の中止を求める警告書を、約30店舗が加盟していた同新地組合に手渡しました。
かんなみ新地でかつては働き、同年11月にバーをオープンした女性は、以下のように話していたといいます。

「警察は見て見ぬふりしてくれてたんやけどね。最近は派手になりすぎてた。あくまで飲食店の建前を守らなあかんのに。時期もやっぱり悪かってんて。新型コロナウイルスで全然収入もなかって、どうしようかなというときの警告やったから、みんな空家賃かけてまでやろうとはならんやん」
(THE SANKEI NEWSより)

今までは警察ともうまくやっていた―ーー、そう女性は証言していました。
組合は組合費から警備員を雇い、周囲の警備をしたり、近隣の清掃活動を行ったり、コロナ禍では、休業要請や時短営業をしっかり守ったほか、飲食店として受け取れるはずの協力金に申請しなかった、と。行政に対して、精一杯の配慮をしていたというのです。
しかし、平成8年頃、約40店舗あった当時の新地に、約100人の警官が四方八方から乗り込んできました。各店舗に風俗営業を行わないように警告をされ、パトカーによる警戒が行われた、と女性は話しています。それでも、当時は徐々に各店舗が営業を再開したそうですが、今回は状況が違いました。長期化するコロナ禍において、建物を所有していない経営者にとっては、家賃が大きな重荷になったのです。結局、組合はついに解散に追い込まれました。

〇さいごに
阪神尼崎駅まで徒歩10分、大阪・梅田からも電車で30分以内。『かんなみ新地』は抜群の立地にあったがゆえに、新地撲滅への機運が高まっていたと言われています。魅力的な立地にもかかわらず、風俗街だという理由で、子育て世代の人々が移住できなかったというのです。
現在は『本当に住みやすい街大賞』で1位にも輝いていた尼崎市。これからもどんどんクリーンな街になっていくのでしょうか。

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