青線―――それは、1946年1月のGHQによる公娼廃止指令から、1957年4月の売春防止法の一部施行(1958年4月に罰則適用の取締りによる全面実施)までの間に、非合法で売春が行われていた地域のこと。青線地帯、青線区域ともいわれています。
所轄の警察署では、特殊飲食店として売春行為を許容、黙認する区域は地図に赤い線で囲み、これら特殊飲食店街(特飲街)を俗に「赤線(あかせん)」と呼んでいました。これに対し、特殊飲食店の営業許可なしに、一般の飲食店の営業許可のままで、非合法に売春行為をさせていた区域を地図に青い線で囲み、「青線(あおせん)」と呼んでいたとされています。
今回は、そんなかつての青線地帯、原町田をご紹介します。
〇原町田の歴史
現在の町田は『西の歌舞伎町』とも呼ばれ、風俗店の多い街としても有名です。
そんな町田周辺は、江戸時代、大山詣り(神奈川にある山岳信仰)のための街道沿いの一集落でした。
年代を経るごとに人口も増えていき、町田村の近くの原野を切り開いて、「原町田」としたのが、命名の由来なのだとか。
そんな原町田ですが、横浜開港をきっかけに、多摩方面からの物流の集積地、拠点として発展し、戦前には陸軍関連施設が多く建ち並ぶ軍都として大いに栄えました。
男がいるところに『花街』ができるのは、必然なのかもしれません。原町田の駅裏にあった工場がつぶれると、その跡地には「町田の田んぼ」と呼ばれる大規模な特飲街(非合法な売春宿)が作られました。
さらに、近くにはラブホテル街がどんどん立ち並ぶようになります。
その頃、原町田駅の移転の話が飛び出しました。
駅自体が東に300メートルほど移転して、現在の「町田駅」に。青線地帯が新「町田駅」の真裏に存在する、なんてとんでもない状況ですよね。そんなわけで、『西の歌舞伎町』といわれる町田駅周辺ができあがっていったのです。1990年代後半には、『外国人娼婦のメッカ』と言われるほどの風俗街になったとも言われています。
しかし、その後は警察の取り締まりによって衰退していき、表立っての風俗店は減っていきました。現在はデリヘルがメインの街となっています。
そんな町田周辺は、江戸時代、大山詣り(神奈川にある山岳信仰)のための街道沿いの一集落でした。
年代を経るごとに人口も増えていき、町田村の近くの原野を切り開いて、「原町田」としたのが、命名の由来なのだとか。
そんな原町田ですが、横浜開港をきっかけに、多摩方面からの物流の集積地、拠点として発展し、戦前には陸軍関連施設が多く建ち並ぶ軍都として大いに栄えました。
男がいるところに『花街』ができるのは、必然なのかもしれません。原町田の駅裏にあった工場がつぶれると、その跡地には「町田の田んぼ」と呼ばれる大規模な特飲街(非合法な売春宿)が作られました。
さらに、近くにはラブホテル街がどんどん立ち並ぶようになります。
その頃、原町田駅の移転の話が飛び出しました。
駅自体が東に300メートルほど移転して、現在の「町田駅」に。青線地帯が新「町田駅」の真裏に存在する、なんてとんでもない状況ですよね。そんなわけで、『西の歌舞伎町』といわれる町田駅周辺ができあがっていったのです。1990年代後半には、『外国人娼婦のメッカ』と言われるほどの風俗街になったとも言われています。
しかし、その後は警察の取り締まりによって衰退していき、表立っての風俗店は減っていきました。現在はデリヘルがメインの街となっています。
〇町田の今は
現在の町田は、人口が都内で3番目に多いベッドタウン。学校も多く、若者の街として有名です。
現在の町田駅周辺は、待ち合わせ型のデリヘルや店舗型ヘルスでにぎわっています。デリヘルの数は95軒以上といいますから、「どこで遊ぼうかな……」と迷ってしまいますよね。
格安店も多い一方で、地雷店も多いと言われているのが町田のデリヘル。お店を選ぶときには、じっくりと店の評判を収集してから突撃しましょう。
現在の町田駅周辺は、待ち合わせ型のデリヘルや店舗型ヘルスでにぎわっています。デリヘルの数は95軒以上といいますから、「どこで遊ぼうかな……」と迷ってしまいますよね。
格安店も多い一方で、地雷店も多いと言われているのが町田のデリヘル。お店を選ぶときには、じっくりと店の評判を収集してから突撃しましょう。