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人妻援護会コラム

2023

04.25

Tue

日刊デリヘル経営・援護会コラム『名古屋市の風俗街 女子大小路』
名古屋の風俗街に一度聞いたら忘れない小路の名前があります。その名も『女子大小路』。
女子大小路は、栄四丁目にある通りの呼び名で、居酒屋をはじめ、スナック、ゲイバー、ホストクラブ、風俗店、クラブ、外人パブ等が立ち並んでいます。
今回は、なぜ『女子大小路』と呼ばれているのかをはじめ、女子大小路がどんな風俗街なのかをまとめてご紹介したいと思います!
〇どうして『女子大小路』なの?
まずは、なぜ『女子大小路』と呼ばれているのか、についてご説明しましょう。
女子大小路は栄四丁目にある約280mの短い通りの通称なのですが、1963年まで中京女子短期大学(現・至学館大学短期大学部)が現在の名古屋東急ホテルの場所にあったことが理由とされています。この中京女子短期大学の大学体育館の西側の路地に並ぶ店の店主達がこの通称で呼ぶようになったのです。さらに、1966年(昭和41年)に俳優の葉山良二と浜田光夫が当地のクラブで飲食中に暴行事件に巻き込まれた際に「女子大小路で……」と話したことでこの名前が広く知れ渡るようになりました。
〇女子大小路の隆盛
1960年代から80年代にかけて、女子大小路は、名古屋随一の歓楽街として賑わいを見せました。
山本正之作詞作曲の『名古屋はええよ!やっとかめ』や『女子大小路のあの店で』の歌詞にもその名が登場するくらい有名になった女子大小路。1980年代には、1700軒が営業していたといわれています。しかし、バブル崩壊後、錦三丁目(通称:錦三)に客足を奪われた女子大小路は、900店ほどまで減少し、空室の雑居ビルが目立つようになってしまいました。その雑居ビル数も120から90軒ほどまで減少し、現在はコインパーキングが増えています。2009年の地価公示によると、女子大小路の雑居ビルが-28.4%と下落率全国1位。ちょっと切ない結果になってしまいました。
〇錦三丁目とどう違うの?
名古屋の歓楽街として有名な錦三丁目。女子大小路と違うのは、フィリピン、タイ、中国、韓国、ブラジルなどの外国人関係のお店が多いことです。
また、女子大小路にはゲイバーが多く、LGBT文化が進んでいるといえます。その証拠に、例年LGBTの大きなイベントも行われており、イベント時には男女問わず、人でごった返します。
さいごに・ビルの空室が目立つ女子大小路
女子大小路はバブル崩壊後から、ビルの空室が目立つようになりました。女子大小路には、池田公園という大きな公園があり、公共施設も広い道路もあります。この、恵まれた場所を過疎の街にするのはもったいないと、数年前から、毎年冬に池田公園をイルミネーションで盛り上げたり、女子大小路の道路を歩行者天国にする「女子大小路ミニ歩行者天国」などが開催されるようになりました。
LGBT運動の発祥地とも呼ばれる池田公園の活用は、現在の大きな課題。広い公園を使い、もっともっと多くの人が訪れる街にしたいと街の人たちは考えています。皆さんもぜひ、名古屋を訪れた際には女子大小路を歩いてみてください。ビジネスマンが多く集まる錦三丁目に比べると、女子大小路は、不思議でおもしろい空間に映ると思いますよ!

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