皆さんは『赤線』という言葉をご存じでしょうか?
GHQによる公娼廃止指令から売春防止法の施行までの期間、日本において半ば公認的に売春が行われていた地域―――それが「赤線区域」。
今回は、そんな昭和時代の風俗の象徴・赤線とはどんなものだったのか、をご説明します。
〇『赤線』の歴史
GHQ(連合国軍総司令部)は、戦後、日本を占領し、民主主義と平和を促進するために様々な政策を導入しました。その中でだされた指令のなかにあったのが『公娼廃止指令』(1946年)。これにより、売春宿や性風俗業の一線が引かれ、一部は地下に潜り、他の場所では形を変えて存続することになりました。
そんななかで半ば公然的に売春が行われたのが、赤線区域。「警察が地図上に赤い線で囲った地域」という説が流れていますが、詳しい状況はいまでも分かっていません。
本当に警察が認めていた地域だったのかはいまも不明ですが、実際、大都市や軍の駐留地周辺に形成され、色々な背景を持つ娼婦たちが働いていたのは事実です。
これらの地域はしばしば特定の地区や町に集中しており、その存在は庶民の間では広く知られていました。GHQの指令後も、経済的な理由や社会的な制約から、売春は続いていたのです。
戦後のわずか12年間の短い間で、全国に約1700箇所も誕生し、夜ごと盛り上がっていた赤線地帯。それが幻のように消えたのは、1958年に施行された売春防止法によってでした。
これは売春行為そのものを違法とする法律。これによって赤線地域は法的に廃止されたのです。しかし、これで完全に『売春』はなくなったのかといえば、そうではありません。一部の地域では売春が地下化し、非合法な形態で続けられました。
そんななかで半ば公然的に売春が行われたのが、赤線区域。「警察が地図上に赤い線で囲った地域」という説が流れていますが、詳しい状況はいまでも分かっていません。
本当に警察が認めていた地域だったのかはいまも不明ですが、実際、大都市や軍の駐留地周辺に形成され、色々な背景を持つ娼婦たちが働いていたのは事実です。
これらの地域はしばしば特定の地区や町に集中しており、その存在は庶民の間では広く知られていました。GHQの指令後も、経済的な理由や社会的な制約から、売春は続いていたのです。
戦後のわずか12年間の短い間で、全国に約1700箇所も誕生し、夜ごと盛り上がっていた赤線地帯。それが幻のように消えたのは、1958年に施行された売春防止法によってでした。
これは売春行為そのものを違法とする法律。これによって赤線地域は法的に廃止されたのです。しかし、これで完全に『売春』はなくなったのかといえば、そうではありません。一部の地域では売春が地下化し、非合法な形態で続けられました。
〇赤線時代の空気
日本の風俗の象徴、ソープランド街、東京・吉原で遊廓専門書店「カストリ書房」を営む渡辺豪さんは、赤線を舞台にした異色のアンソロジー『赤線本』(イースト・プレス)を刊行しています。
その中で描かれる『赤線』のソープランド街は、木造の遊郭の古めかしいさまから変化して、派手派手しいネオンのぎらついた街になっています。戦後の開放的なムードのなか、『赤線』地帯に行けば、どんなプレイもできる、という退廃的な空気が流れていた、といいます。
その中で描かれる『赤線』のソープランド街は、木造の遊郭の古めかしいさまから変化して、派手派手しいネオンのぎらついた街になっています。戦後の開放的なムードのなか、『赤線』地帯に行けば、どんなプレイもできる、という退廃的な空気が流れていた、といいます。
〇赤線時代の空気を感じるなら……
いまはもう昔々の出来事となった『赤線地帯があった景色』。
ひとくちに『赤線とはこういう時代だった』と言い切れないのが、おもしろい。いろんな人がいろんな目線で、当時の『赤線自体』を書籍や映画にしているので、ぜひ気になった方はいろんな書籍・映画に触れてみてください。まずは、永井荷風の「濹東綺譚」や、溝口健二監督の映画「赤線地帯」などから始めてみるのはいかがでしょうか。
ひとくちに『赤線とはこういう時代だった』と言い切れないのが、おもしろい。いろんな人がいろんな目線で、当時の『赤線自体』を書籍や映画にしているので、ぜひ気になった方はいろんな書籍・映画に触れてみてください。まずは、永井荷風の「濹東綺譚」や、溝口健二監督の映画「赤線地帯」などから始めてみるのはいかがでしょうか。