Column
人妻援護会コラム

2023

12.29

Fri

昭和の風俗 青線とは?
昭和の風俗を振り返ると、よく目にするのが『赤線』という言葉です(これは別記事で解説しています)。ざっくりと説明すると、『赤線』とは、風俗営業取締法に基づき、警察(公安委員会)に「カフェー(特殊飲食店)」としての許可をもらって、一定の区画で営業を許可されたもの。
それに対し、青線とは、徒手飲食店の営業許可なしに、一般の「飲食店」としての営業許可のままで、非合法で売春営業を行っていた区域のことです。
警察が、赤線と区別するために、『青線』と言い出した、という説もあれば、新聞記者たちの間の造語だ、という説もあります。
作家の都筑道夫(つづき みちお)は「公認はされなかったが、既成事実を楯にして、いわばお目こぼしを願っていたわけですな。赤線地帯と区別するのに、どう呼ぶべきか、という話が出たとき、警視庁づめの新聞記者のひとりが、青線はどうだ、といったのが始まりだそうだ。(中略)青線はあくまでも飲み屋という名目だから、一階にはカウンターがあって酒を飲ませて、二階が売春の場所になっていた」と説明しています。
やっていたことは、赤線も青線も非合法な売春。『赤線』のほうが高かったのか、というと、それがそうでもないようです。
赤線と青線の値段が、東京の赤線特集を組んだ当時の雑誌(赤線の値段)と『洲崎遊郭物語』(青線の値段)に載っているのですが、価格は同程度なんです。
〇昭和25年8月の新宿二丁目赤線の料金
「ショート(一発だけ)」:データなし
「時間(1時間単位)」:400円
「泊り」:1500円

★昭和20年代の新宿の青線「花園歓楽街」の料金
「ショー(一発だけ)」:300円
「時間」:500円
「泊り」:1500円
年代がちょっと違いので、数年間の物価上昇率(朝鮮戦争の特需景気と経済成長によるインフレ)を考えたら、赤線も青線もほぼ同じ料金だったと考えられます。
赤線が実際に存在した頃に発刊された、「全国女性街ガイド」という雑誌でも、『青線』である大阪の千林を「赤線」として紹介するなど、『赤線』と『青線』の区別は利用者にはよくわかっていなかったりします。
『青線』とは、赤線の隣に出来た飲み屋が発展していったものだったり、隠れて売春も行っていた芸妓たちがいた区域がそのまま青線になったものだったりしていたよう。
唯一の違いといえば、『赤線』はしっかり女性が管理されていた、ということでしょうか。
赤線内で働く女性たちは週1回、中には、毎日のように健康診断や性病検査をしていたところもあったそうなのです。
このへんは、赤線の女性たちは、その区域内に住んで、自分の部屋で「商売」していたことと、青線は自宅が別にあり通勤していた、ということにも関係がありそうですね。
〇さいごに
『赤線』『青線』のほかにも『白線』『黒線』『黄線』があった、という面白い説もあります。昼間働いている女性がアフター5で商売していたところを「白線」、暴力団がいた場所を「黒線」、電話や紹介所を通して家や旅館などに派遣する、いまでいうデリヘルのようなものを「黄線」と言ったらしいのです。知れば知るほど面白い昭和の風俗の世界。気になる方は、ぜひ当時の映画や書籍を読んでみてくださいね。
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