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人妻援護会コラム

2024

04.22

Mon

日刊デリヘル経営・援護会コラム『吉原の三景物 七月の燈篭』
吉原には独自の文化が花開いており、吉原には『三景物』といわれるイベントがありました。
それが、『三月の仲之町桜・七月の燈篭・八月の俄』です。
今回は、多くの人でにぎわった吉原の季節のイベント。三景物の中から、『七月の燈篭』についてご紹介します。
〇七月の燈篭はある一人の太夫の存在がはじまり
吉原といえば、遊女。
遊女の最高位が『花魁』だとおもっている方も多いと思いますが、実は遊女の最高位は『太夫』と呼ばれる女性でした。
太夫と花魁の違いはというと、教養の差にあります。
花魁は芸を披露しないのに対し、太夫は舞や音曲のほかに、お茶、お花、和歌、俳諧など、さまざまな教養を身に付けていました。
まさに才色兼備のスーパーウーマン、それが太夫というわけなんです。
なかでも、伝説となったのが『玉菊(たまぎく)』という太夫。
玉菊はあらゆる芸に長けた美しい遊女で、太夫にまでのぼりつめ大人気になりました。
彼女のかなでる“河東節”の三味線は、豪気でさっぱりとした粋なものだったそうです。
また、彼女は“拳相撲”と呼ばれるお座敷遊び(今の“じゃんけんの元)と言われる遊びも得意でした。浮世絵に描かれた玉菊がしているのがこぶし相撲です。
玉菊は人柄も気前もよく、人々から愛され、5代目奈良屋茂左衛門も彼女をたいそう気に入りました。
彼をパトロンにもった玉菊は、ぜいたくな暮らしをし、その暮らしぶりは数多くの伝説を生みました。しかし、大好きなお酒を飲みすぎて、享保11年の3月に25歳という若さで亡くなります。
周囲は嘆き悲しみ、玉菊を追悼しようという話になりました。
そこで、玉菊が在籍していた角町中万字屋が、新盆のときに玉菊の追善供養を行うことを決めました。
これが思わぬ効果をもたらします。
切子燈篭を店に燈したところ、店はとても繁盛したそうなのです。
これがきっかけとなり、お盆の時期には吉原中の店中が切子燈篭を飾るようになりました。
「うちも商売繁盛に!」「玉菊の力で!」とイベントにしちゃうところが吉原らしいですね。
そうこうしているうちに、その灯篭は、「玉菊燈篭」と呼ばれるほど盛んになり、吉原の三景物”のひとつ“七月の燈篭”と呼ばれるようになりました。
〇さいごに・伝説となった玉菊
まるでおとぎ話のようなお話ですが、これは本当の話。今も、太夫・玉菊のお墓は東京・台東区の永見寺に残されております。

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