花街は歌や舞を伴う遊宴の町。
花街には『揚屋(あげや)』という大きな宴会場と、『置屋(おきや)』という太夫や芸妓を派遣するお店があり、太夫などの位の高い遊女と遊ぶためには、『揚屋作法』と呼ばれる規則を守らなければいけませんでした。
今回は、当時の男性客が「もう勘弁してくれ!」と思いながら通ったという、『揚屋』についてご紹介します。
江戸時代の遊郭で、太夫や格子女郎(こうしじょろう)というハイステータスな遊女と楽しむには、お金も精神力も削られる「揚屋作法」というルールに従わなければいけませんでした。
・まずは品定めされる
初めての客は「揚屋」に行き、宴会を開きます。このときは、女芸者や男芸者(幇間:たいこもち)を呼んで、お酒を飲みながら贅沢に遊びます。このときの遊び方を、揚屋の女将さんや遣り手婆(やりてばば:マネージャー的な存在)が見ており、客が「通(つう)」――粋な遊び人か、「野暮(やぼ)」――田舎者かを見定めます。
・選ばれた遊女の準備
客が無事に「通」だと認められると、遊女屋に「揚屋差紙」という招待状を店側が送ります。「○○を貸してほしい」と書かれたこの紙が届くと、指名された遊女は身支度を整え、「禿(かむろ)」と呼ばれる小さな世話役の子供や妹女郎の新造(しんぞう)などを連れて、大名行列のように豪華絢爛なさまで揚屋に向かいます。この行列が有名な「花魁道中(おいらんどうちゅう)」と呼ばれるものです。
・遊女のチェック
やっと遊女を呼べて、いざベッドイン、とはいきません。客の前に現れた遊女は、客を一瞥(いちべつ)し、もし気に入らなかったら、そのまま帰ってしまうのです。気に入られても、初回は「夫婦固めの盃」を交わして終わり。この日の経費はだいたい10両。揚代金(約1両)に加えて、供の者や揚屋の従業員、芸者、幇間への祝儀などが含まれます。1両20~35万円といわれているので、200~350万の宴を開くと考えると、支払う額にくらくらしますね。
・裏を返す
「夫婦固めの盃」のあと、客はまた宴を開いて待つことになりますが、遊女は酒肴には手をつけません。この日も宴会費、揚代金、祝儀を払います。そして、ようやく3回目で遊女と馴染みになり、正式な相方として認められ、一夜をともにできるのです……。
江戸時代でハイステータスな女性を抱こうと思ったら、とんでもなく大変だったんですね。
そう考えると、現代は数万円で女性が選び放題ですから、ラッキーな時代といえるかもしれませんね。