Column
人妻援護会コラム

2024

09.10

Tue

日刊デリヘル経営・援護会コラム『昭和の風俗 ノーパン喫茶』
昭和の街にあふれていたノーパン喫茶。
最盛期である1981年には、全国で1000店以上営業しており、普通の喫茶店に紛れて、ウェイトレスの女の子がミニスカートにストッキングを履いて、パンティをつけずにコーヒーを運んできてくれるノーパン喫茶が真昼間に営業していたのです。
今回は、ノーパン喫茶とはどんなお店だったのか、中に入るとどんな風景が広がっていたのかをご説明します!
〇ノーパン喫茶の起源
ノーパン喫茶は、ウェイトレスが下着を着用せずに接客を行う喫茶店のこと。その起源は、福岡・博多にあった「ピンク喫茶」だという説や、京都・西賀茂の「ジャーニー」が発祥だったという説があります。
1980年代初頭に登場し、その衝撃的な発想で瞬く間に日本中に広まりました。
ノーパン喫茶は『風俗店ではない』という位置づけだったので、ウェイトレスのミニスカートをめくったり、体を触るのは厳禁でした。
そのため、お客さんは『ミニスカートの中が見たい!』と思っても、メニュー(コーヒーなど)を頼む以外の行動が許されない、いわゆる「生殺し」状態。「もう少しで見えそう……」「いま、ちょっと見えた!!」そんな絶妙なチラリズムが多くの男性の心を捉えたのです。
〇ノーパン喫茶の風景
ノーパン喫茶の多くの店舗は床が鏡張りでした。
「店内をノーパンの女の子がウロウロ歩いているのかな??」「スカートの中が見放題なのかな?」とわくわくしながら喫茶店に入ったお客さんは、注文をしないとウェイトレスは近くに来てくれないことを知ります。
そのため、店内のお客さんの誰かが注文するとチャンスタイム!!ミニスカートとストッキングを身に着けたウェイトレスが注文を取りに来るたびに、お客さんは視線を一斉に床へと落とします。その姿は、まるでワカサギ釣りのよう。さらに、ウェイトレスがコーヒーを提供する際に、少し前屈みになると、店内の視線が一斉にその動作に集中するのもお約束。
おもしろいのが、自分が注文しても、注文を取りにきたウェイトレスと話さなければいけないので、顔しか見えないんです。だから、その時間は、ほかのお客さんにとってのチャンスタイムということになります。せっかく注文したのに、ほかのお客さんのご褒美になってしまうのがなんとももどかしいですね!
お客さんのなかには、ズルズルと体をずらしていき、できるだけ低い姿勢になろうとしたり手鏡を持ち込む人もおり、皆、なんとか覗こうと必死でした。もちろん注意を受けるので、よく磨いたジッポーのライターを鏡の代わりにするという猛者も。皆、覗くためにあの手この手と策を練りました。

その後、コスチュームはどんどんエスカレートして過激になっていきました。パンストさえ履かず、本当にノーパンのお店が出てきたり、大阪の『あべのスキャンダル』では、「前貼り」ならぬ「筋貼り」をするようになりました。細い布を割れ目に貼り付けて、はみ出ている毛を全部剃っていたそうです。
これに文句を言いだしたのが警察。「陰毛は髭と同じ。2〜3時間もすればまた生えてくるのだから、剃った部分にも陰毛はある」といい、陰毛をめぐり大論争が巻き起こりました。
〇さいごに
最終的に、1985年2月に施行された改正風俗営業法によって、ノーパン喫茶は事実上、営業できなくなり、お店の多くはファッションヘルスなどへ転業していきます。
今となっては、見ることがなくなった「ノーパン喫茶」。
しかし、いまでも、バニーちゃんやビキニで営業しているお店があります。なかには、ブラチラ、パンチラ、ボディタッチなどの裏オプションができる店舗もあるとの噂が……!
興味のある方はぜひ調べてみてくださいね!
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