Column
人妻援護会コラム

2024

10.30

Wed

日刊デリヘル経営・援護会コラム『平成の風俗 NK流』
埼玉県川口市北西部。かつて大規模な風俗街としてにぎわった西川口駅周辺。
この場所で行われていたサービスが、2000年前後に『ご当地流サービス・NK流』と名付けられ、スポーツ新聞や夕刊紙で取り上げられました。
連休には、他都県からNK流を求めて男性が押し寄せ、大賑わいだったといいます。
今回は、『NK流』とはなんなのか。埼玉県随一の風俗街と言われた当時の西川口をご紹介します。
〇NK流とはなにか
まず疑問に思うのが、NKとはなんなのか、ということ。NKは『Nishi Kawaguchi(西川口)』の略で、当時『本番行為が当たり前』だった西川口のサービスを『NK流』と表現していました
〇ほかの対戦の声が聞こえる中、ソファで本番行為が当たり前!
全盛期の西川口は風俗店が240点を超え、東京の吉原とも肩を並べる規模。
吉原のソープでも本番できますが、西川口はまったく比較にならないサービスの仕方でした。
超激安店は、夜のゴールデンタイムでも40分5000円という安さ。マンションの一室や、こじんまりした喫茶店くらいの広さだったりと、お店の形はいろいろありましたが、中は病院の大部屋のようにカーテンで仕切られているだけで、隣の嬢の喘ぎ声が聞こえてくるのは当たり前だったといいます。

当時西川口で遊んだ方の話によると、「会場内は大音量の音楽が流れていて、テーブルや椅子がセッティングされているピンサロ会場だった」といいます。
薄暗い空間だったそうですが、ほかのテーブルの客と嬢はしっかりと見えます。そして、各々のテーブルで本番が行われているのです。
それが1万円以下という値段で遊べるわけですから、流行らないわけがないですよね。
当時を語る風俗関係者は、西川口は稼げるので、遠方から出稼ぎに来る女の子も多かったといいます。
広告をださなくても、面接希望の女の子は店に来ますし、店を開ければお客が押し寄せる……、働く側も遊ぶ側も『ここ(西川口)は天国だ!』と言っていたそうです。
〇西川口の黄金時代の終焉
石原都知事の大号令で始まった『歌舞伎町浄化作戦』。これは都内のさまざまな場所へ飛び火し、ついに2005年、西川口の風俗店も大規模な摘発を受けることに。
無許可店はもちろん、NK流のサロンも当然、風営法違反・売春防止法違反で摘発・閉店に追い込まれます。
こうして、あっという間に西川口の風俗店街はなくなってしまったわけですが、困るのは風俗店の経営者と女の子だけではありません。
風俗店に関わっていたスタッフ。タオルやイソジンを納入していた業者、女の子を撮っていたカメラマン。ホームページの運営者、ドライバー……取引先は仕事がなくなり、それは近隣の居酒屋やご飯屋さん、タクシー会社などにも影響しました。もちろん、風俗店が借りていたテナント、女の子が住んでいたマンション、風俗店が女の子の寮に使っていたマンションも解約となり、オーナーは絶望。
こうして西川口の経済は衰退していったのです……。
〇さいごに
現在の西川口は、外国人街に変貌しています。
命からがら西川口を離れた風俗店は、当時の女の子をそのまま使って、草加や越谷に移り、『デリヘル』という形で運営しています。
お店のソファーから、ラブホのベッドへ。
それでも、サービス内容は変っていないのだとか……。

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