Column
人妻援護会コラム

2025

05.25

Sun

デリヘル経営・援護会コラム『江戸の風俗 べらぼう〜身請けとは?』
江戸時代、吉原の遊女たちは「年季奉公」という形で遊郭に縛られていました。多くは貧困や家庭の事情から身売りされ、最長で10年という年季が明けるまで、外の世界に出ることは許されなかったのです。

そのような彼女たちにとって、唯一、年季明けを待たずに吉原を出る手段がありました。それが「身請け」という制度です。
今回は、大河ドラマ『べらぼう』でも登場した、身請けにまつわるエピソードをご紹介します。
〇大金を積んでもらい、自由にしてもらってもカゴの鳥
身請けとは、外部の人間(主に客)が、遊女の残り年季に相当する金額を遊郭に支払い、遊女をご自身の妻や妾として迎え入れる制度です。しかし、単なる「借金の肩代わり」というだけでは済まされないものでした。

たとえば、2025年放送のNHK大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』でも登場した、高級遊女「瀬川」の身請け。瀬川を身請けした鳥山検校(市川隼人さん演じる)が支払った金額は1400両(数億円)というとんでもない額でした。
これほどまでの金額が必要とされたのは、遊郭に対する借金返済だけではなく、残りの年季に相当する見込み収入、妹分の遊女や奉公人への祝儀、盛大な送別の宴の費用など、数多くの名目が重なっていたためです。つまり「身請け」は、限られた富裕層のみができた、遊女の買い取り制度だったのです。
〇拒絶を選ぶ遊女も
「身請け」は必ずしも幸福を保証するものではありませんでした。たとえ金銭で自由を得たとしても、その代わりに差し出すのは、自らの人生だからです。

好ましく思っていない相手に買われるくらいならばと、心中を選ぶ遊女も少なくありませんでした。「綾絹」という名の遊女は、19歳という若さで、武士と心中しました。残された家族は深い悲しみに包まれたと記録されています。
〇遊女に魅せられた男たち
一方で、ちゃんと恋愛したうえでの身請けももちろんあります。たとえば、戯作者の大田南畝(おおたなんぽ)は、松葉屋の下級遊女だった美保崎に心を奪われ、家庭を持ちながらも彼女を妾として身請けしました。
南畝の随筆『松楼私語』には、「千金 身を贖うの時」と記されており、相当な金額を投じたことがうかがえます。しかし、美保崎はほどなくして病に倒れ、南畝のもとで長く生きることは叶いませんでした。

また、浮世絵師の菱川師宣(ひしかわもろのぶ)も、若き日に娶った妻が元遊女であったと言われています。さらに晩年には、22歳年下の遊女「おはる」を再び身請けし、彼女が師宣の代表作『見返り美人』のモデルであるとも伝えられています。
さらに、戯作者の山東京伝(さんとうきょうでん)も、若き日に出会った遊女菊園を年季明け後に正式に妻とし、後年には高級遊女玉の井を身請けしました。恋と芸が交差したその関係は、彼の創作活動にも影響を与えたものと考えられています。
〇さいごに・必ずしも自由=幸せではない
吉原の遊女たちにとって、身請けは「救い」であると同時に、「新たな束縛」でもありました。彼女たちは、自ら相手を選ぶのではなく、選ばれる運命に委ねられていたためです。

どれほどの金銭が動いたのか、誰が誰をどのような想いで身請けしたのか――そのような史実に目を向けると、時代に翻弄された女性たちの生き様が浮かび上がってきます。
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